この場所は、あまりにも寒かった。
時刻はとっくに、深夜を通り過ぎて朝日が昇る手前の時間だ。
これは相模さんからのアドバイスである。
「そんなるでしょ?琴音さんを探しに来たんだよ......だからさ......」
そう言いながら、僕は彼女に一歩近づく。
しかしそうすると、彼女は二歩程退いて、僕が近づくことすら拒む。
「ダメだよ......来ないで......」
「どうして......?」
「どうしてって......もう知っているでしょ?私は、人を殺したんだよ......」
「うん、知っているよ......僕を刺した通り魔を、あの場で、殺したんでしょ?」
そう僕が言うと、彼女はまた二歩程後ろに退いて、そして僕とは視線を合わせずに、弱々しい声で言う。
「そうだよ......殺したんだよ......今まではちゃんと、上手くやっていたのに、それなのに、それなのに私は、あの一瞬だけはどうしても......どうしても抑えられなかった......」
「それはどうして......?」
「......わからない......けれど誠の血を見た途端、自分の中の何かが切れたの......何かが切れて、抑えられなくて、気が付いた時には殺してた......」
そう言いながら、夜の冷気に靡く彼女の髪は、残酷なまでに綺麗だった。
だけどこれから僕が彼女にしようとすることは、どんな風に見方を変えても、どんな風に考えたとしても、きっと彼女が望んでいるような結末には、ならないのかもしれない。
それに本当は、こんなことはするべきではないのだろう。
こんなことをすれば、もしかしたら彼女は、僕を一生許さないかもしれない。
こんなあからさまに、全部のルールを捻じ曲げる様なやり方......
一生恨まれて、一生呪われるのかもしれない。
けれど......
それでも......
そう思いながら、僕はまた一歩、彼女に近づく。
しかしそんな僕を見て、彼女はまた僕のことを拒む。
「だから......来ないでって言っているでしょ......嫌なんだよ......また自分が抑えられなくなって、今度は誠のことまで、殺してしまうかもしれない......だから......」
その彼女の言葉の切れ目で、僕は彼女に、相模さんから渡された、冷たい鋼のそれを、拳銃を、突き付けたのだ。
「えっ......」
その僕の姿を見て、本日二度目の驚きの表情をする琴音さん。
けれどその表情は、さっきのよりも複雑な、それだった。
その彼女の顔を見て、僕は言う。
「知っているよ......だから今こうして、僕は君のことを、殺しに来たんだ」
そう言いながら、心無い台詞を言いながら、僕はちゃんと銃弾が装填されるように操作して、しかしそれをしながら、変わらず彼女には銃口を突き付ける。
「誠が......私を殺すの......?」
「そうだよ、もう君とは一緒に居られない......この拳銃には銀の弾丸が入ってる。唯一吸血鬼の異人を殺せる道具だと、相模さんから預かった。これなら確実に、君を殺せる......吸血鬼である君と一緒に居れば、もしかしたらまた暴走して、他の誰かを殺してしまうかもしれない。そうならないようにするために、僕が君を殺すんだ......」
淡々と、誰かに誂えてもらった様なその台詞を言いながら、自分で説明したその銃弾を、その銃口を彼女に向けながら、僕は彼女の瞳を、じっと見る。
そしてそんな僕を見て、彼女は僕から一度視線を外して、下を見る。
しかし数秒の沈黙の後、彼女が再び顔を上げると、そのときの彼女の表情は、今までのどんな彼女よりも、穏やかな表情をしていたのだ。
そして一言、添える様な声で彼女は言う。
「そっか......誠が......誠が殺してくれるんだね......」
その彼女の言葉に、彼女の表情に、僕は少しだけ、決心が鈍りそうになる。
拳銃は重く、腕を上げているのが辛くなる。
二人の間を吹く風は、冷たくて、しんどい。
しかしそんな僕とは反対に、涙を瞳に貯めながら、何かが吹っ切れた様な彼女の表情は、やはり変わらず、綺麗だった。
「じゃあ......たのむよ......」
その彼女の一言が、まるで予めに、僕と彼女の間で交わした、申し合わせた何かの合図のようになって......
僕は吸血鬼の異人である彼女に向けて、引き金を引いたのだ。
引いた引き金は、銃口から発射された弾丸は、たしかに彼女を貫いた。
そして貫かれた彼女は、その弾丸の勢いのまま後ろに倒れて、その倒れた先には何もなくて、ただの空中だけが、空気だけが、広がっていた。
そしてそんな彼女を見て、彼女を貫いた弾丸を発射した拳銃を投げ捨てて、人間とは明らかに異なった身体能力を駆使して、僕はただ空中に投げ出される彼女の身体を、後ろに回り込みながら抱きかかえるようにして、支えたのだ。
そしてそうすれば、そうなってしまえば、僕等二人の身体は必然的に、そのまま空の中に投げ出されてしまう。
投げ出された二人の身体は、重力加速度的に落下速度が増した状態で、それこそミサイルのような状態で、高い大学施設の屋上から地上に向けて、落下した。
落下したことで、アスファルトの地面に大きなヒビが入る。
体質的に普通の人間よりも頑丈な、中途半端ではあるけれど異人である僕ならば、落下した先の地面がたとえそんな状態になったとしても、普通の人間よりも負担するダメージは少なくて、そしてそれは、たとえ一人の女の子を抱えていたとしても、同じことなのだ。
しかし彼女の方は、僕が彼女に向けて発射した弾丸が、彼女の身体をたしかに貫いて、彼女の
吸血鬼の異人としての部分は、明らかに瀕死の重症なのだ。
あの時と、同じように......
僕と彼女が最初に出会った、明らかに完全に、彼女が全面的に加害者で、僕が被害者だったあの時のように、今は彼女の方が、死にかけている。
だから僕は、あの時彼女が僕にしたであろう行動を、今度は僕から、彼女にしたのだ。
彼女が僕にしたこと......
それは僕から、半分の人間性を吸い取って、そして自らの異人性を、相手に流し込んだあの行動。
ずっと気になっていたことではあった。
どういう行動をすることで、彼女が僕に対してそんなことが出来たのか。
正直これが正解かは、自信がない。
けれど確実に言えることは、あのときは人間の血を、あのときはまだ完全な人間だった僕の血を、彼女は吸血していないということだった。
ファミレスのときに、彼女のことを管理していた相模さんは、たしかに言っていた。
『たしかに彼女は、生きている人間から直接吸血を行ったことは一度もない』
あの言葉が真実なら、あの時はまだ微かに生きていた筈の、人間であった僕の血も吸っていないということになる。
それなら......そうだとすれば......そうだとしたら......
彼女が僕にしたことは、自ずとこういうことになるだろう。
馬鹿げているように見えるけれど、きっとこうだろう。
「ごめんね......琴音さん......」
そう言いながら、僕はなるべく、そっと触れるようにして......
彼女の唇を、奪ったのだ。
数日後の、ゴールデンウィーク最終日。
僕は大学構内の喫煙所で、相模さんと相対していた。
僕等二人以外居ない喫煙所。
間には、換気扇と灰皿が組み込まれている大きなテーブルがあって、壁はおそらく煙草のヤニのせいなのだろう、黄色く汚れている。
そしてその壁にも、黄色く汚れた、見慣れたタイプの換気扇。
どうやら喚起に関しては、しっかりとした設備が整っているようだ。
そんな場所で、彼は胸元のポケットに閉まってあった煙草の箱から一本取って、それを口に咥える。
そして火をつけて、一息吸って、吐き出すタイミングで、あの日のことを口にする。
「まぁ、理にかなっていたとは思うよ。口というのはそもそも、栄養を取り込むための、消化器官の最前端だ。その構造の仕組みを利用して、君の残っていた人間性を流し込むことは、案外そこまで難しいことでもないのかもしれないよね......」
そう言いながら相模さんは、煙を吐く。
そしてさらにもう一服、煙を吐きながら、煙草を口にしない癖に喫煙室にいる僕に向けて、そのまま言葉を続ける。
「けれどまさか、死にかけていた彼女の、吸血鬼としての異人性までも吸い取ってしまえるとはね......完全な異人ならまだしも、君の様な中途半端な異人にそんな芸当が出来るとは......正直驚きだよ......」
そう言って、彼はまた煙草を咥えなおして、僕を見る。
そしてそんな彼に対して、僕はとてもバツが悪い気持ちになって、視線を背ける。
あのときの......
あの行為の裏側を知っている人間は、彼しか居ない。
彼女の口を通して、彼女が持っていた異人性を吸い取ったあの行為。
それをするためにはどうしても、吸血鬼の異人としての彼女には、死にかけてもらう必要があった。
だから僕は、相模さんから渡された、銀の弾丸が装填された拳銃の引き金を、彼女に向けて、彼女の急所に向けて、引いたのだ。
バツが悪そうにしている僕を見て、相模さんが笑いながら言う。
「そんな顔をするなよ、荒木君。すべてちゃんと、君が思う通りに、事は進んだんだろ?だったらもっと、嬉しそうにしてもいいんじゃないかい......?」
その言葉に対して、僕は視線は合わせずに、しかし返答の為に口を開く。
「それでも......」
「......」
「それでもやっぱり......あれは僕の勝手な......身勝手な行為だったのかなって......そう思ってしまう感情もあるんです......だって......」
だってあの日、彼女はきっと、死のうとしていたんだから......
確認したわけではないけれど、きっとあの屋上は、ここら辺で一番朝日が差し込む場所なのだろう。
だから彼女は、吸血鬼である彼女はあの日、あの僕と初めて会った日も、あの屋上に居たのかもしれない。
おそらく死ぬために、朝日に焼かれて死ぬために、あの場所に居たのかもしれない。
そう考えてしまうと、彼女の言動にも納得できる。
唐突に、人間に戻りたいかを僕に尋ねた時の、あの言葉。
『まぁでも、誠は人間に戻れるから、大丈夫だよ』
『あぁ、保障するよ』
パンケーキ屋に向かった時に話した、彼女のあの言葉はきっと、そういう意味だったのだろう。
だってそれなら......
今回のことが、そういうことに当てはまることを、相模さんから説明されたわけではないけれど、けれどこういう設定は......
『呪いを掛けた術者が死ねば、呪いが解ける』なんて設定は、結構使い古されているじゃないか......
それならもう、あの日からきっと彼女は、吸血鬼の異人としての佐柳琴音は、自ら命を絶つことを望んでいたのだ。
そこまでの考えを一通り相模さんに伝えると、彼は少し笑いながら言った。
「まぁ、その通りなんだけれどね......吸血鬼の異人としての異人性が半分になったとしても、おそらく朝日に照らされていれば、焼かれて蒸発することはなくとも、灰になってはいただろうから......それをするために、朝日が出る直前に、あんな場所に居たとすれば、たしかに合点がいく......」
そう言って一本の煙草を吸い終えて、彼は二本目に手を伸ばす。
そして二本目に火を着けたところで、さらに話は続く。
「それで君は、君の勝手な感情で、『琴音ちゃんに生きていて欲しい』っていう、そんな身勝手な願望で、彼女から『異人として死ぬ権利』を奪ってしまったと......そんな風に、考えているのかい?」
「......」
一章结束